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新規住民排斥に関する考察

地方で「新規の住民」が排斥されることに関する幾つかの考察。「ヘゲモニックな男性性社会」と「構造主義」的な考え。

2021.07.30

おはようございもん。

 

今日は地域社会のことです。

 

先日SNSで、地域協力隊の人が町民との関係性について考えを吐露したものを見ました。また、地方のある地域ではお医者さんが住民にいじめられていなくなってしまった、という話も聞きます。どうして新規住民の排斥が起こってしまうのかを社会学的な方向から考察し、私たちはどうすればいいのか?について書いてきます。

 

何故「新参者」の排斥が行われるのか

なぜ新しく来た人を受け入れられないのか?ということには根本的な考え方として以下の2つあると考えます。

 

・従来住民たちの地位が揺らぐから

 

・違う構造からくる異質な価値観を理解できないから

 

では何故そういった考えに行きつくのか、「ヘゲモニックな男性性」社会と「構造主義」的な考え方らから読み解いていきましょう。レッツゴー!

 

「ヘゲモニックな男性性」社会

近代家族の男性社会の支配像は家父長的な性格が強く、家長となる男性が家族と家族の財産を管理する側面を持っています。その影響は家だけでなく、しばしば会社や国といった大きな括りにおいても未だに目にする光景です。

 

社会の支配的な構造と結びついた男性性を「ヘゲモニックな男性性」と言います。その言葉は「ヘゲモニー(hegemony)」という考え方に由来します。「覇権」の意味を持ち、「社会的あるいは文化的な優位性若しくは支配性、社会または環境において、一つの集団が大きく優位にあること」を示す語となります。「あるグループや政府が、社会の中で並外れた影響力を有している」というと分かりやすいかもしれません。

 

(「ヘゲモニー」とは本来、政治的あるいは経済的あるいは軍事的に抜きんでた国家が他国支配・統一することで、古代ギリシアにおいてヘゲモニーとはポリス(都市国家)が他のポリスに対して政治的・軍事的に支配的な状態にあることを示す語でした。)

 

一般にこの男性性社会の支配的性格は女性を従わせることによって成立すると考えられます。一方で、男性性の内部にも上下関係があり、それが男性性の支配的性格を支えているとの主張もあります。社会の支配的な構造と結びついた男性性を「ヘゲモニックな男性性」と、自らは支配的な男性となりえない、男性支配を維持するころで地位を維持しようとする「共犯的男性性」と、男性の支配に危機をもたらす「従属的男性性」(ゲイの男性などの所謂マイノリティ)という3つの階層の存在があります。

  

「ヘゲモニックな男性性は、従属的男性性を否定することによって維持され強化される」という点がポイントです。あるいは、共犯的男性や、ヘゲモニックな男性性を支持する女性たちからの指示によって支えられます。

 

男性が女性を差別することによって、男性中心社会が維持されていると考えられてきましたが、近年の研究では、男性性内部にも上下関係が存在し、従属的な男性性を否定することでヘゲモニックな男性性の権威が維持されるメカニズムが浮かび上がってきました。男性の権威、そして女性に対する男性支配の仕組みは男社会の内部の上下関係を通しても再生産されているとも考えられますね。

 

従来は排斥の対象の多くは少数派の男性でしたが、女性の社会進出にともなってそこは平滑化され、男女双方とも少数派が攻撃の対象になってきているよう感じます。

 

男性社会において既得権益の維持の為には攻撃が必要とされる

地方においては、未だに多くの地域が男性社会です。実際に一次、二次産業に従事する人が多く、肉体的優位性の高さが生産性に結びつく場合が多いからでしょう。男性が労働力として「生産」を行い、女性が家庭で次の労働力を「再生産」するという近代日本の家庭の形式をとっているケースが非常に多いです。そして前項で述べた通り、男性が「生産」の主体になっているケースにおいては「女性の社会進出」の機会が少ないことも示唆され、どうしても男性社会の性質が顕著に表れます。

 

そして男性社会はしばしば階層構造をとり、既得権益を維持するためには少数派への攻撃が必要とされてしまいます。これを地方における「新規の住民」が排斥される仕組みに適応してみましょう。

 

ここではその土地で中心人物となっている男性と、それを支持する男性と女性がいるわけです。彼らは「従来のやり方」で自分たちの生活を維持してきました。その中に新しい価値観を持った新規の住民がやってきます。彼らはしばしば新しい方法を試します。元々住んでいた自分たちが知らない方法を目の当たりにする。その新しい風は彼らの権威を脅かすある種の「脅威」として見られるわけです。これでは自分たちの地位が危ういと、だから攻撃する。

  

遠く小さなコミュニティのことと客観的に見れば、なんとつまらない理由か!と思えることですが私たちの身近なことに適応してみると、実は無意識のうちに多くの人が取り得る行動と思えます。

  

例えば、「大学生のサークルで1-2年生の下積みを過ごし仲間と一代を築いても、3年生になり編集してきた新しい人物の圧倒的な実力で人気を掻っ攫われてしまう。」とか、「会社に新卒から15年務めてなんとか役職に就けた。このまま昇進を!と思っていた矢先に転職で急に自分より上の役職に就く実力派が現れ出世街道を絶たれてしまう。」とか。

  

新規の参入者は常に新しい価値観と技術と知識を持ち込みます。それに圧倒されては今までの自分の日々はなんだったのかと否定された気になることはどの人にも起こり得ることです。そうして思うのです。気に入らないから皆でいじめてしまえ!と。冷静に考えれば、新規の参入者はその集団に対して新しい利益をもたらす可能性だってあるでしょう。しかし当事者たちはある種の、富とか、人気とか、過ごしやすさとか、ある種の「既得権益」の喪失を恐れ、攻撃に及びます。

 

以上が「従来住民たちの地位が揺らぐから」排斥する、という考えです。続いては、違う価値観について、「構造主義」的な考え方で考察していきます。

 

「構造主義」とは

「構造主義」という言葉があります。これは「人間は、自分の意志で考えて行動しているように見えて、実は、周囲の環境や役割や立場によって、無意識にその考えや行動が決定づけられている」という考え方です。

 

自分が所属しているコミュニティによって、そもそも各人が持てる発想が支配されているのです。例えば、経営者と労働者のそれぞれの構造で考えてみましょう。

 

経営者がお金を得ることを考えた時、どの事業にどの人材を分配すればいいかを考えます。自分一人で働くという発想はもちません。人を使うという発想を持てます。なぜならその人にとって「親や周囲もそうしていたしそれが当たり前だから。」一方で労働者は、自分が今使える技術と知識と、時間(時給)を掛け算して得られる対価を考えます。人を使って富を得るという考え方をしなければ、そもそもその発想を持ちにくいのです。なぜならその人にとって「親や友人もそうしていたしそれが当たり前」だから。

 

「医者の子が医者」であることも「政治家の子が政治家」であることも、「東大生の親が高所得者」であることもこれと大きな関係があります。親が将来子が「そうなる方法」を知っている。そのコミュニティ内では近しい情報源が潤沢に存在し、ノウハウが分かり、そして資金があるから必要な教育を施し「再生産」することができるのです。こうして階級は固定化されていくわけですね。

 

「それらしい行動」が求められてしまっている

『人間がどう考えるかは、その人が生きる社会のシステムによって、無意識に形づくられてしまっている』だから自身が所属する構造の中で違う考えや行動をする人は異物として、理解のできないある驚異の対象として排斥を受けやすいです。

 

もう少し話を膨らましましょう。

 

なぜ特定の職業が、特定の制服を着て仕事をしているのか?なぜ学生が、わざわざ特定の制服を着て学校へ通っているのでしょうか?

 

それは、それらの制服の着衣が、当人に「立場の自覚」と「手段への帰属意識」を促すことが期待されているからです。つまり一個人としてではなく、集団の中の一員として、医者敗者らしく、学生は学生らしく、囚人は囚人らしくあるためです。意識の変容がたかが布の形や色で引き起こされているという事実を私たちも知るべきで、重く受け止めるべきだと思います。

 

 

国や地域という構造

そして、地域という括りもそういったコミュニティも一つの構造です。国も、市町村も、それらは人間が作り出した幻想で、言ってしまえば区別をしやすいように分けた存在しない「箱」です。フラクタル構造のように、国という大きな箱の中に市町村という箱があって、その箱の中にあなたの会社や家庭といった小さな箱があります。

 

その箱の中では、国では法律が、会社では社則が、地域には暗黙の掟のような、ある規範やルールが支配しています。そして同一のコミュニティに長く属すほどコミュニティ内ではその価値観が固定化されやすいです。理由は簡単です。そこの固定化された価値観に合わない人はすぐに出ていくから。その価値観にあった人だけが残るから。そうして年月をかけていって、その構造での価値観は固定化されていくのです。そして当事者たちは現在の規範に疑問を持てなくなります。

 

前項で述べた通り、その地域では「それらしい行動」が求められ、それは小さく閉じたコミュニティであるほどその傾向が高いと考えられます。同じような労働量、同じような生活水準、同じような生活様式。ある種の同化が求められることでしょう。自分たちと違うものを受け入れられない、小さな全体主義的のように感じられます。

 

例えば、一次産業が主で、「田畑で汗水垂らすのが仕事」という地域では冷房の効いた部屋で診察を行う医者や自室に籠り作業をするクリエイターやエンジニアは「らしくない行動」として捉えられる場合も多いのでしょう。ましてや、「らしくない行動」をしながら、自分たちよりも遥かに高い生活水準を目の当たりにしたら妬むこともあると思います。 

 

以上が、違う構造からくる異質な価値観を理解できないことに関する考察です。

私たちにできること

・ヘゲモニックな男性社会における従来住民たちの地位が揺らぐから

・違う構造からくる異質な価値観を、「らしくない行動」を理解できないから

 

以上2点が私が思う排斥の原因に関する考察です。本当はもっと沢山のの複雑な要因が絡んでいることでしょうが、一例として今回はこの2つを取り上げました。

  

ネガティブなトピックを扱いましたが、ならば私たちはそれを知った上でどうするか考えてみましょう。

 

現実として、固定化された構造の中で長く過ごした人が急に別の価値観を受け入れられるようになることは難しいと思います。なので新規の住民と元々存在する住民の間を取り持つメッセンジャーの役割をもつ存在が不可欠でしょう。地域おこし協力隊のように、最終的にその地域に定住する人を増やすことを目的とする試みがあります。ただ呼び込んで活動を任せるだけでなく、日々彼らの活動や悩みについてヒアリングを行ったり、彼らの活動がどのようにプラスの影響を地域にもたらしているのか地域住民に説明する活動を、もっと手厚く支援する機関が必要だと思います。

 

今後人口減少が見込まれる地域ではそういった外部からの新規居住者を誘致する試みは増えてくることでしょう。新しい居住者をバックアップする新たな組織も今後求められ、出てくるのではないでしょうか。

シン・ダッシュ村構想

また、これは突拍子もない私のアイデアですが、既にコミュニティができている地域に協力隊のような人を誘致するのではなく、まったく新しいコミュニティを人がいない地域に作ってしまうなんてどうでしょうか。

 

最近だとyoutuberや芸能人がオンラインサロンでキャンプ村を作ったりしているのをよく見ます。その公的機関のバックアップを受けたバージョンです。シン・ダッシュ村です。そこなら旧来の構造的価値観に縛られることなく、新しい試みをガンガンできます。

 

例えば、IOTやアグテックを行う新規産業を誘致し、スポンサーとして、その村でのハイテク農業を実践してみたり、自動運転によるシステムを実験してみるなど、新しい産業の土壌にして知識人たちが集うハイテク村を新たに作り出す、とか。そしてその模様をyoutubeにでも発信して、注目を集めてより気鋭に富む若者を呼び込んでみたり。ブロックチェーンを用いたトークンエコノミーとか、共同所有とか、新しい技術に真っ先に触れられる村とか面白くないですか?

   

そしてその地域で成功した試みを他の地域にも適応するのです。これを新しい地方のロールモデルとして発信してみてはどうでしょう。

 

おわりに

今回は地方で「新規の住民」が排斥されることに関する幾つかの考察として「ヘゲモニックな男性性社会」と「構造主義」的な考えについて取り上げました。排斥が起こる考察、ご理解いただけたでしょうか。もちろん他にも沢山の要因が複雑に絡まって起こることなので、これが全てとは言えませんが、一例として覚えて頂けましたら幸いです。

 

また、必要な事としては新規住民と従来の住民の間を取り持つメッセンジャーの存在があります。コミュニケーショントラブルの大半は対話不足による双方の理解不足に起因することが多いです。なのでそれを解消する役割の出現が求められるよう感じます。

 

そして最後に私のシン・ダッシュ村構想。これはまだ妄想の域を脱しませんが、技術の発展に伴って、本当にこれを実践してくれる地域が現れたら面白いなと思います。そして、その時は、「私これ数年前にアイデア出してたわ~」なんて呟こうと思います。

 

以上となります。今回も長い文章となりましたが、ご愛読ありがとうございました!

 

へばな!

 

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