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アジサイタイトル

アジサイと日本、化学・土壌の話①

2021.07.05

アジサイの季節

近日、秋田県の男鹿市にある「雲昌寺(うんしょうじ)」というお寺が「アジサイ寺」として大盛況なようです。今回はそれにあやかりアジサイにまつわるお話を、文化・歴史と、化学・土壌とそれぞれの点から書いていきます。今日は前者の文系っぽい話を、明日は後者の理系っぽい話について記していきます

 

雲昌寺ってどんなところ?

雲昌寺の写真 2017.07.10

雲昌寺は秋田県男鹿市の北浦という町にあるアジサイが咲き誇るお寺です。

「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」の2017年国内ベスト絶景 第1位に取り上げられて以来人気が爆発したのは記憶に新しいです。

 

副住職の古仲宗雲(こなかしゅううん)さんが15年の歳月をかけて現在の光景まで育て上げたそうです。はじめは近所の方に喜んでもらえたら、と始められたそうです。それが絶景にまでなるのですから途方もない根気と継続力には脱帽します。

 

雲昌寺のアジサイ 2019.06.28 撮影
雲昌寺のアジサイ 2019.06.28 撮影

群青色の絨毯が一面に咲き誇り、漁港を見やればコバルトブルーの日本海が広がる、なんとも懐かしい日本の景色らしく素敵な場所です。

 

夜はライトアップもされており、昼とはまた違ったより深い青の世界を楽しむことができます。

雲昌寺のアジサイ 2017.07.10 撮影

 

今回は観光地の紹介、ではないので雲昌寺についてもっと詳しく知りたい方はこちらのホームページからご覧ください。

>>雲昌寺ホームページ

 

感染症対策で雲昌寺も入場制限を行っているようなので、今回のお話しを混雑時の待ち時間の小話のタネくらいにしいていただけたらと思います。

 

日本とアジサイ、その名の由来

アジサイを漢字で書くと紫陽花で、中国からの渡来種のような印象を受けます。また、戦後にヨーロッパから西洋アジサイが大量に輸入されたこともあり西洋の種にも見えます。しかし実際のところは日本の自生種です。

 

「額縁型の花で」、「真藍(あお)い花を集める」という意味の「集真藍(あずさい)」が名前の由来であったと言われております。唐の時代の中国の歌人白居易が「アジサイによく似た花」に「紫陽花」の文字を当て、その漢字を日本の集真藍にもあててその名前が定着したとされております。

雲昌寺のアジサイ 2019.06.28 撮影

 

万葉集とアジサイ

日本の文献で確認できる最も古いアジサイは「万葉集」が最初であり、アジサイの歌が2首詠まれています。今となっては毎年のように梅雨から初夏にかけてSNSで流行る季節の花ですが、当時はあまり縁起がいいものとされておらず人気がなかったのかもしれません。

 

雲昌寺のアジサイ 2017.07.10 撮影

万葉集で詠まれた歌は以下になります。

 

①安治佐為の 八重咲く如く 八つ代にを いませわが背子 見つつ偲ばむ

(あじさいの やえさくごとく やつよにを いませわがせこ みつつしのばむ)

橘諸兄

 

②言問はぬ 木すら味狭藍 諸弟らが 練の村戸に あざむかえけり

(こととはぬ きすらあじさい もろとろが ねりのむらとに あざむかえけり)

大伴家持

 

①の句は奈良時代の皇族・公卿の左大臣橘諸兄(たちばなもろえ)が貴族で歌人でもある右大弁丹治比国人(たじひのくにひと)に贈った歌であるとされています。橘諸兄が丹治比国人邸の宴に招かれた際、アジサイになぞらえて国人の長寿を祝って送った歌だそうです。

 

歌の現代語訳は、

アジサイの花が八重に咲くように、あなたも八代も末永く健やかであるようにお祈り申し上げます。

(八代(やつよ):万代も、末永く)

(背子(せこ):親しい人。ここでは宴会の主人である国人)

 

ここではあじさいは八重に重なって咲くめでたい花として扱い、国人の慶事を祝いました。君が代のような素敵な歌ですね。

 

しかしこの後、橘諸兄は天皇になるチャンスがありながら道半ばで逝去し、そして皇族のお家騒動に巻き込まれて国人は伊豆へ配流となります。

橘奈良麻呂の乱』-wikipedia

 

 

②の句は奈良時代の公卿・歌人の大伴家持(おおとものやかもち)が大伴 坂上大嬢(おおともの さかのうえのおおをとめ)に送った歌の1つとされ、家持は後に従妹である坂上大嬢を正妻にしたとされています。

 

歌の現代語訳は、

言葉を話さぬ木でさえも、アジサイのように色が変わる。口が達者な諸戸の言葉に嬉しくなり、すっかりだまされてしまったのです。

(諸戸(もろと):当時の男子の名前でここではお使いの人)

という訳だそうです。

   

使いの者が言葉巧みに「坂上大嬢が家持を好きと言っていた」と家持に伝えましたが、「人の気持ちは移ろうものだ。それに口が達者な人から聞いた話は信用できないな。上手い言葉にすっかり騙されてしまった。(けど嬉しいからそれとなく好意を伝えておこう)」ということで詠んだ歌だと考えられます。

 

現代風に言うと、こうです。多分こういうノリで詠んだと思う。

 

諸戸「姫があんちゃんを好きだって言ってたよ~!」

家持「そんなん!めっちゃ嬉しいやん!けどほんまなん?人の気持ちも移ろうもんやし、ワシ騙されとらん?めっちゃ気になるやん!本人から聞いたわけじゃないし疑っとるけん気持ち確かめさせてくれ~!」

   

なんだかんだで2人は、このあと後めちゃくちゃ歌を詠みあってくっついたのでした。よかったじゃん家持。やるじゃん家持。めっちゃ貴族してる。

 

さて、アジサイは上記①の歌ではめでたいものとして扱われていた一方で、②の歌では少しネガティブな印象の為に扱われました。奈良時代以後、時々歌や絵画のなかで紫陽花が登場するものの、戦後まではあまり人気がなかったようです。その理由はその性質と花言葉、季節にあるという説があります。

 

アジサイの花言葉

2019.07.0050505 ニョロトノとピンクのアジサイ 

アジサイ全般の花言葉は「移り気」、「浮気」、「無常」などとあまりいいイメージがありません。

 

アジサイは成長段階もしくは土壌の成分に合わせて花の色を変える花で、緑、青、赤、紫の順に変化します。「七変化」の異名もありそしてその特性からアジサイを表す代表的な言葉は「うつろい」です。気が変わり実も結ばないことから「ころころと変わる信用できない人」の例えに使われます。

 

(土壌が酸性かアルカリ性かでアジサイの色が決まる、ということは聞いたことがある人も多いかもしれません。その理由については明日、詳しく書いていきます。)

 

そして、その移ろう色によって意味が変わります。色ごとにその花言葉を見ていきましょう。

 

〇青いアジサイ

青いアジサイには冷たい印象から「冷淡」、「高慢」という意味があります。

 

〇ピンクのアジサイ

ピンクのアジサイは明るく愛らしい印象が持たれるため「元気な女性」、「強い愛情」をいう意味があります。

これはフランスでつけられた花言葉で、西欧諸国はアルカリ性の土壌が多いためカラフルな花を咲かせ、梅雨がなく乾燥したカラッとした気候もあり明るい意味が与えられているのではと推測されます。

 

〇紫色のアジサイ

紫色のアジサイには「辛抱強い愛情」、「神秘」という花言葉がつけられます。紫色には神秘的なイメージが与えられるのは納得ですね。

 

〇白いアジサイ

白いアジサイ清らかな印象の白いアジサイは「寛容」、「ひたむきな愛情」の花言葉がつけられます。白いアジサイは土壌の性質を受けずに花色が変化しない、という性質から連想された言葉とされるそうです。

 

シーボルトとアジサイの物語

雲昌寺のアジサイ 2019.07.05

戦後まであまり人気のなかったアジサイですが、時代は下り幕末に転機が訪れます。

 

1823年8月、陸軍医師であり植物の研究を行っていたドイツ人のシーボルトがオランダの命令でに日本へやってきました当時の日本では来日した外国人は長崎の出島から出ることを許されませんでしたが優秀な医者であるシーボルトはで出島を出て病人を診察することを特別に許可されていました。町人の診察や、日本人へ西洋医学を教えるなどをし大変感謝されていたと言われています。

 

その生活の中、彼は丸山町遊女であった瀧と出会い恋に落ちます。そして彼女との私生児として娘のイネを授かりました。シーボルトは「お瀧さん」とうまく発音できず瀧を「オタクサ」と呼んでいました。1828年に帰国する際、先発した船が難破し、日本の浜に流れ着いた集荷の中に幕府禁制の日本地図があったことから出国停止処分を受けたのちに国外追放となりました。(シーボルト事件)

 

1830年にオランダへ帰着。その後日本の植物を掲載した「日本植物誌」を刊行します。その際に彼は日本で出会った美しい花のアジサイを「Hydrangea otaksa(ハイドランジア オタクサ)」として紹介しました。「Hydrangea macrophylla (ハイドランジア マクロフィラ)という名前で発表されていたため認められませんでした。

 

美しい物語ではありますが、花の学名に個人的な情緒を持ち込んだことにはあまりいい顔をされなかったそうです。

 

戦後、日本での普及

その後1900年代にフランスでアジサイの育種が始まります。これが西洋アジサイへと発展し、大正時代には西洋で改良を受けたアジサイが日本へ逆輸入されてきました。第二次世界大戦後以降観光資源として注目され、日本の各所でアジサイは非常に人気の花の1種になりましたとさ。

 

何故アジサイ寺が多いのか?

雲昌寺のアジサイ 2019.07.05

 

アジサイの名所と言えば冒頭で紹介した秋田県男鹿市の雲昌寺の他に、神奈川の明月院、長谷寺などお寺が多いですね。アジサイ寺として知られる名所は多数ありますが、どうしてお寺と言えばアジサイなのでしょうか。

 

諸説ありますがその昔、医学が発展する以前の話です。アジサイの季節である6月は気温の変化が激しく流行り病でなくなる人が多かったそうです。その時に弔いの意味を込めてアジサイの花をお寺のお境内に植えたことがアジサイ寺の流行りの始まりであった、と言われております。

 

死を連想させるイメージも合わせることからなかなか人気が出ない種だったというのも納得ですね。

(元来日本人は信心深い面があるので)

 

しかし近年ではすっかり梅雨の時期の風物詩として大人気になりました。今年はアジサイのシーズンももうすぐ終わりですが、どこかで花を見かけた際は是非今回のお話を思い出していただけたらなと思います!

 

明日は理系っぽいアジサイの話を

雲昌寺のアジサイと観音様 2019.07.05

明日はアジサイの化学と土壌の話を書いていきます。

その後はしばらく土壌とか農業の話でも続けようかなーと思います。今回は文系っぽい内容でしたが、この後は理系っぽい話が続きますので是非ご愛読ください。

  

へばな!

コメント

  1. ようこん より:

    紫陽花すき!ニョロトノかわいい!

  2. こうだい より:

    このブログ読むとめっちゃ時間溶ける笑

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