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弱い紐帯

「弱い紐帯の強さ」と「分断するインターネット」。世界を「旅」して広げよう!

2021.08.04

おはようございもん。

 

今日は世の中を分断する考え方と世の中を繋げていく考え方についてのお話です。

 

「弱い紐帯(ちゅうたい)の強さ」という考え方があります。それは近年ビジネスや組織論の場でよく使われるようになった言葉です。英語では「strength of weak ties 」とも、ウィークタイなんて言われたりしますね。新しい事業やイノベーションを興すには多様な考え方が必要で、現在所属するコミュニティに外部のコミュニティの考え方を持ち込む存在の重要性を説くためにしばしば使われています。

 

そしてインターネットがあります。一見世界を広げ、新しく繋げてくれる存在に見えるインターネットは実は強い紐帯を強化する性質があり、偏った意見を誘発する可能性を持ちます。

 

「弱い紐帯の力」についての説明と、「分断するインターネット」について説明し、それらを踏まえて、どうやって考え方や経験を広げていけばいいのだろう?そのためには旅がいいよね!という個人的見解について話を進めていこうかなと思います。

 

 

「弱い紐帯」・「強い紐帯」

1979年代、アメリカの社会学者、マーク・グラノヴェターは論文の中で「弱い紐帯の強さ」という考えを提唱しました。「社会的つながりが緊密な人よりも、弱い社会的つながりを持つ人の方が、有益で新規性の高い情報をもたらしてくれる可能性が高い傾向がある」ということです。

 

「強い紐帯」というのは、家族や業界人同士など互いに信頼し感情的に結びついた関係を指します。そして「弱い紐帯」と言うのは日常的に会わない人同士の繋がりを指します。強い紐帯において、同じような環境、生活スタイル、価値観を持つ場合が多く、所持・共有される情報が類似する傾向があります。一方で、弱い紐帯による繋がりは自分と異なる環境や価値観が共有されるため、「自分が知りえない新規性が高く有益な情報をもたらしてくれる可能性が高い」と考えられるのです。

 

マーク・グラノヴェターはアメリカのサラリーマンの転職を事例に研究を行い、その調査はボストン郊外に住む300人弱の男性を対象として行われました。調査の結果、多くの人が、人と人との繋がりを用いて職を見つけていて、しかも、高い満足度を得ているのは職場の上司とか親戚とかではなく、「たまたまバーやパーティーで知り合った」といった「弱い紐帯」を機に転職した人の方だったことが判明しました。

  

身近な友人や同僚は、皆あなたをよく知っているし、性格や能力も知っています。そして同じ業界の求人について共通した情報を持っています。そうした人はあなたにとっても予測可能な転職先しか紹介できないことでしょう。

  

それに対して弱い紐帯で繋がる人はあなたのことをよく知らない、あなたについて知っていても普段の生活や仕事の内容は知らない、それ故に全く未知の領域や転職先を紹介してくれる可能性があるわけです。

  

以前書いた記事で構造主義的な考えたかにも触れましたね。つまり、同じ構造に属している同士では考え方や価値観が固定化されやすいと。「類は友を呼ぶ」ということわざの通り、活動範囲も交友関係も類似する傾向があり、未知の資源にアクセスできる可能性は低いと言えるでしょう。

  

関連

>> 地方で「新規の住民」が排斥されることに関する幾つかの考察。「ヘゲモニックな男性性社会」と「構造主義」的な考え。

 

「弱い紐帯の強さ」

グラノヴェッター博士は「弱い紐帯」は「強い紐帯」同士を結ぶ橋渡しとして機能すると述べました。

 

「強い紐帯」においては、新たな情報が入りにくい反面、各コミュニティで掘り下げられた質の高い情報が存在します。そういった閉鎖的なコミュニティ同士を繋げる、有益な情報同士を繋げるブリッジとして「弱い紐帯の強み」を活かす必要があるのです。

  

近年の企業の組織作りにも「弱い紐帯の強さ」の考え方は大きな影響を与えていて、企業や組織は新規開拓やイノベーションを目的としてこの考え方を踏襲し、多様性なんかを推進したりしているわけです。

 

インターネットは強いつながりを更に強化する

物事の考え方において「強い紐帯」と「弱い紐帯」について理解した上で、今度は私たちが使っているインターネットが私たちにどのような影響を与えているのかを考えていきましょう。インターネットやSNSは私たちが意見交換をする新しい場所として機能していますが、果たしてそこで繰り広げられる議論は本当に開かれた公共的な場として機能しているのでしょうか?それは限りなくグレーです。ここではインターネット上でいう「みんなが言っている」の「みんな」が元々同質の人たちである可能性についてお話しします。

 

フィルターバブル

インターネットと言うと、リアルの人間関係が強く、ネットは浅く広い人間関係を作るのに向いている、と考える方が多くいらっしゃると思いますが、実はこれらは逆の役目を果たします。「フィルターバブル」という言葉があります。「インターネット上で泡(バブル)の中に包まれたように、自身の見たい情報しか見えなくなること」を指す言葉です。

 

Googleと言った検索システムや、SNSのように、検索履歴や過去のクリックなどの情報からユーザーが見たいと思われる情報を自動で判断し画面上に表示するといったパーソナライズ機能の存在はユーザーの利便性を高めるため行われていますね。

  

パーソナライズの制度が上がると、ユーザーは求めていない情報へアクセスすることが難しくなっていきます。その結果として、他人と同じ情報を見ているつもりでも、フィルターを介しあなたが満足するようにパーソナライズされた情報を見ている、と言うことが起こりえます。

  

更にSNSにはブロック機能・ミュート機能があります。これによって見たくない情報を遮断することができますね。選択と淘汰の繰り返しによって自身の居心地がいい世界がネットワーク上に構築され、フィルターバブルによって隔絶された集団の中で同じ意見を持つ同士で群れ文化的・思想的に孤立するようになっていくわけです。

  

近年で学生時代からSNSを上手に使ってきた世代の人たちは、会社の上司や同僚のことよりもSNSで繋がっている人たちのことについてよく知っている、ということも珍しくありませんね。仕事に関する話は単調ですが、職場の人と話してみたら意外な趣味を持っていたり面白い体験を聞けたりするなんてこともあります。結局同じ職場に長くいるの人は考え方が似通ってきますが。

 

「エコーチェンバー」と「偽の合意効果」

「自分と同じ意見の人々ばかりのコミュニティーで、コミュニケーションを繰り返すことで、自分の意見が増幅・強化される現象を「エコーチェンバー」と言います。元来エコーチェンバーとは自分で発した音が、あらゆる方向から反射して自分の方に帰ってくる音響の実験室を指します。その残響室にいるかのように、あらゆる方向から自分と同じ意見が帰ってくるよううな閉じた空間にいた結果様々な人の意見を聞いて様々な考え方を知ることができるのではなく、自身の意見が単に増幅・強化されることが語源となっています。

 

これの危険性って、偏った意見が世の中の大半の意見であるという誤認を助長する可能性があるところです。「みんなが言っているから」の「みんな」って誰だろう?リアルでは少数派の考え方でも、インターネットを通して繋がり、集まってしまえばそれなりの数の意見になりますよね。リアルの世界では所謂マイノリティに属される人でもSNSといったネットワーク上では「私たち」になり得ます。例えば、自分がなんらかの社会に関する意見をSNSに書いた時に「いいね」がつく。けどその反応は元々同じ考え方の少数派からだということに気付けないから、自分の意見は正しいんだな、と思い込んでしまうことがあります。

 

 

「偽の合意効果」とも言いますが、人が自分の考え方を他の人に投影する傾向です。他者が自分と同じように考えているとみなしたがること・人々は自分の意見や考え方が実際よりも一般大衆と同じだと思い込む傾向があるようです。そしてこのバイアスはグループで議論した時によく派生し、そのグループの相違はもっと大きな周囲での一般的考え方と同じだと考えることが多くなりまる。グループのメンバーが外部の人間とそのことについて議論する機会がない限りそのように信じ込む傾向が強くなるのです。

 

おわりに:物理的な移動で「旅」して、自分の経験や考えを作っていく

今回は「弱い紐帯の強さ」と「フィルターバブル」によるインターネット上で偏りを大衆の考えと誤認してしまうことの危険性について書きました。偽の合意効果においても、これは特定の人に起こり得ることじゃなくて、どこかのコミュニティに所属していたりインターネットを使用している私たち全員が陥る可能性があるということもご理解していただけたかと思います。ではどうすれば、弱い紐帯のように、新しい考え方を取り入れ思考をアップデートし、より俯瞰的な思考や意見、経験を持てるのでしょうか。

 

それは定期的に今いる環境から離れて、他のコミュニティに入り込んでみる、といったことが1つの方法ではないかと思います。

 

今のあなたを形作ったモノ、人間を創り上げるモノ、それは環境です。今のあなたがどういう人なのか?それはあなた自身の身を取り巻く環境に目をやると理解できると思います。無意識のうちに人の考え方は国、家庭、職場、学校、交友関係といった環境に引っ張られています。誰しもがどこかの次元の中で「強い紐帯」に内包されていることでしょう。

 

なので他のコミュニティを時々覗いてみましょう。行ってしまえば「旅行」のようなものです。物理的に移動してみましょう。リアルな世界ではgoogleのようなアルゴリズムに支配されずに、その場所にある生の声を聞けます。「みんなの意見」のようにどこの誰か分からない人ではなく、「その人」の話や知らない景色、世界を覗けるはずです。

 

そして、旅行先であなたの話を、そこにいる人たちにしてみて下さい。あなたにとって大したことじゃないと思っていても、きっとそこの人たちにとってあなたの体験は貴重なお話として聞こえることと思います。価値観を交換して、また別の旅先でこれを繰り返していきましょう。いつの日か強い紐帯の中で育まれた経験や価値観が素晴らしい広がりになっているはずです。

 

私は「普段の自分を取り巻く環境が世界の全て」になってしまったとき、人はサディズムに陥ってしまう考えています。異質なものなど受け入れる必要もない、そこでは自分の経験が全て正しい世界。自分の世界を守るために果たして人はどうするのか。受け入れる努力も必要なく、意見の合わないものは排除してしまえばよい。そんな世界では新しい出会いもなく、私にとってもワクワクする日々は訪れないかなぁ。学校の勉強ができるできないじゃなくて、世界を知ろうとしなくなった時(”勉強”をやめた時)、人はサディストになってしまう。ワクワクもなくなってしまう。

 

「LIFE!」という映画があります。これは実在したアメリカの写真を中心とした誌面構成のグラフ雑誌を題材に扱った映画です。そしてその映画で知ったのですが、実在したLIFE誌のスローガンを私は好きです。

 

 

“TO SEE THE WORLD, 

THINGS DANGEROUS TO COME TO,

TO SEE BEHIND WALLS,

TO DRAW CLOSER,

TO FIND EACH OTHER AND TO FEEL.

THAT IS THE PURPOSE OF LIFE.”

   

“世界を見よう

危険でも立ち向かおう

壁の裏側をのぞこう

もっと近づこう

お互いを知ろうそして感じよう

それが人生の目的だから”

 

以上がLIFE誌のスローガンなのですが、とてもカッコイイなと私は思います。1つの世界しか知らない人生じゃなくて、折角1度きりの人生だから、色々な世界を知っていきたいですね。

 

私は人生において意外なことが沢山訪れてほしいと考えています。勿論、計画を立てて実現したい未来もあるのですが、それがそのまま計画通りに達成される人生より、思わぬ意外な出会いや出来事を通して、もっと斜め上の方向に人生が飛躍してくれたら嬉しいです。

 

弱い紐帯、強い紐帯、そしてインターネット。それぞれ上手に使って思考や経験を豊かにして行けたらいいですね。今日はこの辺で。 

 

へばな!

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